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「だつて、喜作さんはこの土地にはいないでせう」
神経質な目ばたきをしながら、練吉は口早に引きとつて云つた。
「それで、――どうかね?」
盛子の顔からはもうあの一人でうれしがつているやうな無邪気さは消えていた。代りに現れたものは物柔い優しさに満ちた注意深さだつた。
それから十二年の後である。明治元年の七月、越後の長岡城が西軍のために攻め落された時、根津も江戸を脱走して城方に加わっていた。落城の前日、彼は一緒に脱走して来た友達に語った。
日々は平凡に単調に過ぎて行つた。
「すると、何ですか、十年契約といふやうなことにでもなすつたんですか」
「それは、小規模な演習だからして居らん」
瞬間、房一は緊張した。道平が急変したのかと思つた。さうではないらしい。急患だらうか。それだと、こんな風ではなく、もつと低くおろおろした風に云ふ筈だ。彼は手をやめて、耳をすませた。
「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」
「あの訴訟はどうなつたのかね」
「往診ですか」
「もう着てみましたか」